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内藤裕紀
株式会社ドリコム代表取締役 [ 社長の哲学 ]
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内藤裕紀
[インタビュー]
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「出来ないことはない」と思うことで道は開ける(1)
2006.12.24
[ TOPBRAIN RADIO ] 高橋幸司の仕事の哲学
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腹をくくっているからっていう視点で考えると、いろんなことが変わる
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増える20代の経営者
川崎 本日のゲストは株式会社ドリコム代表取締役 内藤裕紀さんです。こんにちは。
内藤 宜しくお願いします。
高城 内藤さんと言えば20代の経営者の代表選手のように、あちらこちらのマスコミに登場されていると思いますけど、本当にこの1年間、上場をきっかけにいろんなマスコミの取材が多かったんじゃないですか?
内藤 そうですね。若い経営者っていうのは増えてはきていますけどまだまだ少ないということがありまして、それだけでも取り上げられる機会が多いかなということもありますし、上場がきっかけっていうのもすごく大きいかなとは思いますね。
高城 20代の経営者で上場している会社というのは、社長が20代ということですね。
内藤 そうですね。私を含めて3人いますね。エスグラントコーポレーションの杉本社長とアドウェイズという会社の社長さんがいますね。
高城 内藤さんは20代の経営者の会の理事もお務めになっていらっしゃっていて、そちらのほうでも会員がものすごく多いんですよね。
内藤 そうですね、60人とか70人くらいじゃないかなと思います。
高城 馴れ初めをお聞きしたいんですけども、内藤さんが会社を興したのは2001年ですよね。ですからちょうど大学生時代だと思うんですけど、その当時をちょっと振り返っていただいて、普通に就職出来る時代だと思うんですけど、なぜその時期に起業しようというか、ビジネスを始めた理由は。
内藤 もともとですね、僕、東京の高校だったんですけど、大学選びの時点でどこ行ったら自分で事業が出来るかな、っていう視点で見ていたので、そもそも就職活動をするつもりが全くなかったっていうところがありますね。
川崎 大学入る前から起業することを念頭においていらっしゃった。
内藤 そうですね。起業というか、もともとは発明家になろうみたいなところから始まったんですけど。京大はノーベル賞多いし、ベンチャーだったら経済学部じゃないかっていう結構安易な理由でですね。
高城 その当時、起業したいというときに何でしようっていうのはもう決まってイメージはあったんですか?
内藤 全然ですね、インターネットとか全く触ったことがなかったので。
高城 意外とね、ネット系のベンチャーの経営者で多いんですよ。
川崎 そうなんですか?でも今は、先程もご紹介したようにブログということでシステム系のプロフェッショナルのようなイメージなんですけども。
内藤 会社の中はそういう人ばっかりなんですけど、実は僕は全然プログラムとかは出来ないんです。
ブログサービスはゴールドラッシュ
高城 ブログというサービスを展開して事業を大きくしようという風に決めたきっかけっていうのは?
内藤 決めたきっかけがコンビニエンスストアでヤフーインターネットガイドという雑誌を売ってまして。そこですごいちっちゃい記事でアメリカでそういうサービスが始まったっていうことを知ってですね、何だろうと興味が沸いていったところから始まったので、実は皆同じような機会があったんじゃないかなと思います。
高城 当時、ブログっていうものは全然世の中に普及していなくて。
川崎 そうですよね、2003年以前の話ですよね、2001年とか。
高城 ブログの始まりってアメリカだと思うんですけど、日本でこの事業の展開においてはブログというサービスはちょっと違った形で広がっている気もするんですけど、内藤さんから見て実際にこのビジネスを始める上で今の仕事に広がるまでにどういうプロセスがあったんですか?
内藤 そうですね、当時2003年の時はまだまだ数えるくらいしかブログってなかったんですよ。自分達で全部探せていけるくらいの数しかなかったんですね。当時思ったのが、こういったサービスっていうのは日本でも流行るだろうと思いまして。でも流行るのと僕達のビジネスが上手く行くのとは別じゃないですか。その時思ったのが、これはゴールドラッシュに近い。みんな金を掘りに行くんじゃないか、と。でも僕達は会社が小さかったですし、後からブルドーザーでゴーッと来ると、スコップしか持っていない僕達は金が掘れないじゃないですか。なので僕達はリーバイスになったほうがいいんじゃないかということで、ブログを始める会社さん向けのソリューションを提供するところから始めようという形で、どっちかと言えば法人さん向けに展開していったっていうのがまず最初の始まりですね。その通り皆さん始めていって、うちのソリューションもどんどん売れていったんですけども、その後にやっぱりリーバイスの成功は金を掘る人のためのデニムじゃなくて、皆が履いていくデニムになることだと思ったんで、そういったサービスをどんどん作っていこうっていう形でどんどん発展していきました。
高城 始まりはどちらかというと個人用というよりも業務用のシステムから入っていってだんだんそれが個人向けのサービスに展開していった感じですかね。それは最初から計画として持っていたのですか?
内藤 そうですね、ある程度2003年はこういう年、2004、5年くらいまではその当時に計画した感じですね。
高城 内藤さんから見てブログのビジネスがある程度世の中で認知をされたなぁ、という認識をしたのっていつ頃だったんですか?
内藤 2004年くらいからですね、メディアの中でブログって単語がいっぱい出てきて、芸能人の人達がブログを書き始めるようなことが始まっていったぐらいが「あ、認知されてきたな」という感じがしたときですね。2004年後半くらいですかね。
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