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杉本宏之
株式会社エスグランドコーポレーション代表取締役社長 兼 CEO [ 社長の哲学 ]
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杉本宏之
[インタビュー]
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若い時は素直で謙虚な部分を持ちつつ突っ走ることも大事です(1)
2006.10.29
[ TOPBRAIN RADIO ] 高橋幸司の仕事の哲学
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綺麗事を一切抜きに世の中の流れを見てニーズに合ったものを提供していかなきゃいけない
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売上57億でも70億仕入れてしまった
川崎 本日のゲストは株式会社エスグラントコーポレーション代表取締役兼CEO 杉本宏之さんです。
高城 杉本さん、今日は宜しくお願い致します。
杉本 宜しくお願いします。
高城 杉本さんは20代にして株式を公開されたんですね。しかも200億を超える大企業に成長されていますね。本でいうと「1R(ワンルーム)男」がものすごく売れてベストセラーになっていますが、始めにお聞きしたいのはエスグラントコーポレーションという会社について、簡単なご紹介をお願い出来ますか。
杉本 はい。当社の事業内容としては、今は新築マンションの分譲事業、それから中古マンションの再生、リノベーション事業、それから現在はアセットマネージメント事業、ファンド事業を展開していて、アセットマネージメント事業というこの3本柱を中心に本体は仕事をしています。グループ会社は現在6社あります。
高城 有難うございます。杉本さんが会社を創業したきっかけについて教えていただけますか?
杉本 もともとは同業のデベロッパーに5年間勤めておりまして、あまり大きい声では言えないんですけど、そんなにかっこいいマンションを作っている会社ではなかったので、日々疑問に思いながら仕事をしているところがあって。ある日社長にデザイナーズマンションを作りましょう、と直談判に行きまして。今の時代なら絶対売れる、と言った時に社長に「馬鹿か、お前は。そんな経費がかかって金にならないような仕事はやらない」と言われて、僕はこの会社に対して未来を感じられなくなってしまった。それで自分で作るしかない、ということで最初は社長じゃなくてもいい、自分でデザイナーズマンションを作りたい、という非常に強い思いで独立をしました。それが創業のきっかけです。
高城 デザイナーズマンションというのは今は普通に会話されますけど、2000年頃の当時はあまりなかったですよね?
杉本 そうですね。6年前は特に我々が扱っているワンルームとかコンパクトっていう分野では一切なかったですね。誰も作ってなかったですね。
高城 自分で買って人に貸す、みたいな資産活用という形ですごくシンプルに出来ているものが多かったですよね。
川崎 でも今のマンションがすごく素敵なんですよね。資料を拝見すると、悲鳴を上げたくなるような素敵な物件ばかりなんですよね。
杉本 有難うございます。
川崎 本当に、すごいんですよ。だからその時の思いが本当に反映されて素敵なところばかり作ってらっしゃる。
高城 でも今のデザイナーズマンションを作り上げるまでにゼロから創業したら苦労が多かったと思うんですよね。いろんな部分で資金が必要なビジネスなので、その辺りの苦労話は本にも載っていると思うんですけど、ちょっと教えていただけますか。
杉本 はい。本当に苦労といったらきりがないんですけど、一番印象に残っているのは、売上が57億の時に70億の物件の仕入れをしまして、しかもそれを2ヶ月で売り切らなきゃいけない。役員会にかけて否決されまして。「いくらなんでも社長、これはやめたほうがいい」と役員が全員反対したので、その後に管理職、現場の人間達なら絶対賛成するはずだと思って現場の人間達、管理職呼んで会議をしたのですが、それも全員殆ど反対で「社長やめましょう」と。要は売上が57億しかないのに2ヶ月で70億売れる訳ないでしょ、という単純な発想だったんですよね。ただその当時はどちらかというと需給のバランスが、マンションのモノがない状況だったんですよね。まわりの各社話を聞いていると、その2、3ヶ月くらいがちょうど穴が空いている、と。これは業者に売れると思ったんです、僕は。業販出来るんじゃないかと思って絶対仕入れるべきだ、という話をして、最終的には皆の意見を聞いてやるとか言いながら僕は押し切って。結果的には2ヶ月で70億を売り切ることが出来ました。決してオーナー社長で株のオーナーとしての株主資本に物を言わせて強引にやったと言うよりは、「絶対にこれはいける」という自分の中での確信があったのでやったんですけど、それは会社として良い意味でターニングポイントになったな、という風に思っているんです。
高城 それは当然デザイナーズマンションだったんですよね?
杉本 それが違ったんですね。
高城 違うんですか?
杉本 他社さんが仕入れていた物件を当社がちょっと改装して売ったんです。それはもともと、実はセザールさんという、一旦民事再生になった会社さんが途中まで作られていた物件が不良債権だったんですね、半分。それをある会社さんが買ってそれを当社が買ったという形だったんです。綺麗事を一切抜きにやっぱり世の中の流れを見て、世の中のニーズに合ったものを提供していかなきゃいけない、というところがあると思うんです。我々の会社としては需給バランスが崩れた時にそのタイミングを見て良い仕入れが出来たというのはすごくポイントになったな、という風に思っています。
現場タイプの指揮官です
高城 事業でいうマンションとか住宅という“家”“住居”に関する仕事に対するこだわりと言うか、関心はもっと前からあったんですか?
杉本 そうですね。僕らの世代は物心ついた時からインターネットがあったり、割と海外の情報、MTVがWOWOWで見られたり、結構情報が溢れてきた時代なんで、自然と海外の住宅なんかも目にはしてるんですけども、一番衝撃を受けたのはサラリーマンになって、イタリアに行ったり、フランスに行ったり、ロス、ニューヨークと立て続けに海外に3年くらいで10数回海外旅行に行ったんですけど、その時に非常に日本とヨーロッパの建築文化のレベルの違いに、愕然としたと言いますか、大きなカルチャーショックを受けましたね、現地を見て。
高城 今、自分がやりたいビジネスがあって、どんどん事業が大きくなってくるとやりたい事がやりやすくなってくると思うんですけど、まだまだ当然あると思うんですが今自分の中でやりたい事が道何合目くらいの広がりですか?。
杉本 いや、それは1割か2割くらいですね。
川崎 まだまだあるわけですね。
杉本 やりたい事はたくさんありますね。
杉本 いいですね。 じゃあ少し仕事の哲学についてお聞きしたいんですけども、創業者として事業を切り開かれた杉本さんに、まず始めに会社を大きくする上では会社の従業員がいないと大きくなっていかないと思うんですけども、そういうその“人”についてのことを最初にお聞きしたいんですけども、何かそういうこだわりとか哲学みたいなものはありますか?
杉本 そうですね。社員の人は家族という考え方で接しようという風に努力をしてますし、努力をしてるというより家族として捉えている、と。ビジネスパートナーというよりはどちらかというと仲間としてですね。あとは仕事上の哲学にこれはちょっと通じるものがあると思うんですけど、ちょっと古いんですけど連合艦隊指令長官の山本五十六元帥という方がいらっしゃって、その方がおっしゃった言葉で「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」という言葉があるんです。これは現場の司令官として自分がやってみせて言って聞かせてやらせてみて、褒めてやれば人は動くんだという。僕は山本五十六元帥の本を3冊くらい読んだんですけど、すごく現場の司令官としてすごく共感出来る部分が多くて、僕もその言葉を常に心がけているんです。要は、会社がちょっと業績が悪くなったり、ちょっと会社の雰囲気が停滞しているな、という時はいつでも現場に出られる体勢を作っておく。会社が傾いたときであったり、悪くなったときは常に想像しながらやってますね。社員の人達に「社長が現場に出てやってるんだ」という、現場タイプの指揮官なんですかね、若いというのもまだあると思うんですけど、常に現場というのを意識してやろうという風には考えています。
困った時には必ず助けてくれる人が現れる
高城 もう既に会社としては株式公開を果たして、まさに今急成長している時期だと思うんですけど、それによって杉本さんの中で考え方の変化はありましたか?
杉本 そうですね、やっぱり今はこういう時代ですから監査法人の先生方も非常に厳しいですね。こう言っては何なんですが、やはり未公開の会社さんよりも非常に強く意識せざるを得ない状況に追い込まれますから、そういう意味ではすごく社会貢献であったり情報開示であったり社会的な責任であったり、社会性というものを非常に意識するようになりましたね。言うなれば将来的には国益にも貢献できるような企業を作らなくてはいけないのではないか、と。考え方はやっぱり未公開のときと、「稼げばいい」とか「売上を大きくする」とか単純にそれを考えていた考え方からは大きく変わりましたね。
高城 なるほどね。一方、目の前に杉本さんのファッションを見ると、まだ20代の素敵な男性ですけど、川崎さんどうですか?
川崎 そうですね。一言で言うとすごいスタイリッシュで、格好良い格好で。なのに、売上が264億円という。全然結びつかないんですけれど、それが一番気になりますね。「1R(ワンルーム)男」という著作にも書かれていると思うんですが、多分小さな頃からの経験が、これだけ稼げる仕事をするようになるきっかけがそこにいっぱい詰まってたと思うんです。何か一つ経験されたものがきっかけになってこういう思いになったというのが、会社のお話以外でも伺えたら。
杉本 普通に生活していて、実際自分が体験者になると意外と普通になっちゃうと思うんですよね、皆さんも。意外と乗り越えられるものだと思うんですよね。自分としては苦労をしてきたとか、親父に包丁で刺された傷とかも見ても何とも思わないですよね。それは2、3年くらいその傷を見るたびに傷が疼くとかあるじゃないですか。そういうのもあったんですけども、嫌なことはすぐ忘れる性格なんですよ。
川崎 さっきの70億の物件もそうですけれども、いろんな事がもしかしたら悪い事態になるかもしれないということもちゃんと考えながら、大きな一歩を踏み出されているじゃないですか。大変なことと思わずに何でも乗り越えられるという信念みたいなものをお持ちのような気がするんですけど。
杉本 どちらかと言うと、人に恵まれたかなとすごい思うんですよ。困ったときになぜか助けてくれる人が現れる。
川崎 いましたか、今まで。
杉本 必ずその場面場面で助けていただける方っていうのが現れてるんですよね。人にすごく恵まれたなって思います。こないだも当社を応援していただいている社長さんがいらっしゃって、お会いしたときに「何で応援していただけるんですか」と酔っ払った勢いで聞いたときに「お前はこんだけ地雷踏んでるのに爆発せえへんからな」って言われて。「どういう意味ですか、それは。」「お前ほど地雷を踏んで爆発せえへん奴は俺は初めて見た」って言われたんですよね。あぁ、そうですか、って。だからその都度その都度、こう地雷を踏んでも地雷を除去してくれる人が助けに来てくれて、そういう人に本当に恵まれたなという実感はあるんですよね。
高城 きっと踏んでないんですよね。踏む前に誰かがちゃんとどかしてくれるからですよね。
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