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渋井真帆
株式会社マチュアライフ研究所代表取締役 [ 経理・会計 ]
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渋井真帆
[インタビュー]
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あなたを変える「稼ぎ力」養成講座 決算書読みこなし編/ダイヤモンド社(1)
2005.05.29
[ TOPBRAIN RADIO ] あのベストセラー著者に聴く!
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多くの人に『稼ぎ力』というものに 意識を向けていただきたいと思います。
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銀行に入社してからのキャリア模索時代
【主藤】 今回のゲストは、ダイヤモンド社から出版され、8万部を突破したベストセラー、「あなたを変える「稼ぎ力」養成講座 決算書読みこなし編」の著者でいらっしゃいます、渋井真帆さんにお越し頂きました。渋井さん、今日は宜しくお願いします。
【渋井】 宜しくお願いします。
【主藤】 本の表紙に渋井さんの写真が載っているのですが、その通りの非常にお美しい方がいらして頂きまして、私はかなり緊張しています。
早速本の中身のお話をしますが、実は渋井さんはキャリアの模索時代というのをあえて告白されていますよね。現在でこそ、講演、執筆でご活躍されていらっしゃいますが、まず渋井さん自身の経歴やキャリア模索時代についてお話して頂ければと思います。
【渋井】 キャリア模索という言葉って、ぴったりです。最初は大学卒業後、都市銀行に総合職として入行しましたが、まずは預金、為替をジョブローテーションとして3ヶ月ほど経験しました。
その後、融資に配属されたのです。通常、半年間のジョブローテーションの後に融資か外為か、適性をみられて配属されますが、バブル崩壊後でバタバタしていた時期のせいもあって、人手が足りなかったようです。融資に配属されてからは、ローン破綻や企業倒産といったシーンを目にする機会も多々ありましたね。
そうした経験が影響したのでしょうか?入行当時身長170cmで体重63キロだった体型が、半年経ちましたら身長は変わらないんですけど、47キロになっていました。
【主藤】 素晴らしいダイエットですね。
【渋井】 「融資、貸し渋りダイエット」という本でも書いてしまおうかと思いました。
当時は、多少自信もあったので「銀行に入ってバンバン活躍するわ」という気持ちでやっていたのですが、何をやっても空回りで仕事もうまくいかず、知識がないから自分のクライアントや企業、個人の方の債務救済をしてあげることもままなりませんでした。
しかも一般職の女性にも相容れないし、総合職の男性からも仲間に入れてもらえないという典型的な宙ぶらりん状態になってしまい、もう何がなんだかわかりませんでした。仕事をやっても報われないという思いと無力感で、どんどんやせ細ってしまい、結局、当時自分を指導してくれていた銀行の先輩が救済結婚をしてくれました。
ストレスがたまる生活が続く日々 【主藤】 仕事を始めてどれくらいで結婚したのですか?
【渋井】 1年半です。
プロポーズの時、夫から「一度銀行を辞めて体調を治したら君はまだアンダー25だからハローワークに行けば働き口があるよ」と言われました。後で夫にそのことを言ったら、内心そんなの無理かなと思いつつも、お嫁さんにしたいからとりあえず言ってみたということでした。ひどいですよね(笑)。
【主藤】 それは、結婚の裏話ですね。
【渋井】 それを真に受けて銀行を辞めて、実際ハローワークに行きました。私は本にも書きましたが、資格があっても英検2級と秘書検定2級、語学力がTOEIC380点というスコア。しかも、特別な資格もなく、1年半で仕事を辞めるといったキャリア中途半端。けれど世の中の求職者にはそれこそアメリカの大学でMBAを取っている人もいますよね。
【川崎】 銀行とかだったら、MBAを持つ人も多いですよね。
【渋井】 そうすると資格もない、語学力もダメで、キャリアも学歴も中途半端という状態でハローワークに行っても、全然仕事がないんですよ。
【主藤】 結婚退職され、職探しをしようとハローワークに行ったが、仕事がなかったと。
【渋井】 全くありません。一応25歳以下なので、多少仕事の紹介はあるんですが、30社ぐらい受けて、全部面接で落とされてしまいました。ものすごいショックでした。
それ以来、銀行の時と同じ『無力感というものに苛まされる日々が続き、結局ありつけた仕事』が時給650円のパン屋さんのパートのお仕事でした。毎日クロワッサン3個詰め450円セットをこしらえながら、「私、こんなことをしたくて大学まで卒業して、銀行入ったんだっけ?何やっているんだろう?」という気持ちになっていました。 世間知らずで、試用期間3ヶ月が経っても時給を値上げしてもらえないことに抗弁もできません。
このままではいけないと思い行動、今度は資格ジャンキーになってしまいました。 宅地建物取引主任者、経理の学校、英会話の学校から、だんだん方向性が変わってきて、テーブルコーディネーター、フラワーコーディネーター、パフューマー、彫金アクセサリー師、カラーコーディネーターなどです。
【主藤】 資格を全部取ったんですか?
【渋井】 全く。同じ経験をしている人は多いと思いますが、資格を申し込んだ日はハイテンションなんですよ。
例えば、カラーコーディネーターを申し込んだ日、「これからはパーソナルイメージの時代よ」「カラーの先生になってどーんと儲けるわ!」なんてキッチンで大演説したものです。
でも大体3、4回行って、「資格を取っても、仕事がないじゃない」と気付く。そもそも資格があっても稼げるとは限らず、社会的に自分の位置を確保できないということに気付きました。
冷静に考えたら、弁護士や会計士という資格がないと開業できないような職種の方でも、やりがいや社会的なポジションも持って収入もついてくるような人、そういう人のことをうだつの上がっている人と、私は呼んでいるんですが、そういう人とそうじゃない人がいるんですよね。
だから資格でもないし、学歴かと思ってもそうでもないんです。銀行にも、うだつの上がらない高学歴、多くの資格をもっている人がいました。結局、生まれや育ちの違いかと一時思いました。
【主藤】 今のお話は、25、6歳の頃ですか?
【渋井】 24の頃ですね。当時の写真を見ると、髪の毛も困ってしまうぐらいの状態になっていました。
【主藤】 ストレスですか。
【渋井】 自暴自棄ですね。太っていて、かつ髪がすごく短くて金髪なんですよ。専業主婦デビューという言葉がふさわしい状態になっていました。
【川崎】 やせられたり、太ったりと本当にものすごく大変でしたね。
【渋井】 キャリア界のダイアナ妃みたいな感じです。
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