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佐々木俊尚
フリージャーナリスト [ インターネット ]
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佐々木俊尚
[インタビュー]
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ネットがもたらした言論のフラット化とは(2)
2007.09.26
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人間関係からメディア、経済構造まで 日本を変えたネット社会との向き合い方
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□インターネットが実現したマスメディアとの“新しい関係”
――――作り手側から見た場合は、テレビや新聞、雑誌に対してインターネットは分断されている世界だったように思うのですが、それが融合してくるとなると、ビジネスのスケールとしても近寄ってくるのでしょうか。
現在のところ、例えば広告費だけで考えると、2007年の広告費で言えば雑誌をおそらく抜いて、テレビ、新聞に次ぐ第3位になるのではないかと思います。ただインターネットの場合、媒体の数がものすごく多くて、雑誌と比べても多分数十倍くらいになる。そうすると1個1個の媒体の収益力というのはあまり高くないんですよね。そう考えると新聞、テレビのように1つの媒体、テレビ局1社とか新聞社1社が持っているような1千億円とか2千億円儲けるというビジネスには、なかなかなりにくいとは思いますが、一方でそうやって1人のブロガーが書く記事が何らかの形で広告費として還元されるとか、アメリカなどでは実際に起きているんですが、1つのブログ媒体が月間2千万くらいの広告費を稼ぐ、といった状況も起きてきている。
――――月間2千万となると、雑誌の広告料に近くなってきていますよね。
そうですね。月間の広告費というのは、普通の2万部、3万部、もしくはもう少し大きい部数の雑誌でもそのくらいの金額だと思いますから。それと同じくらいの規模になってきていると考えると、ビジネス的にもブログの持つ意味、経済的な意味も含めてだんだん存在感として大きくなってくるのではないかと思います。
――――インターネットが普及する中で、「フラット革命」という今回のテーマでいうと、インターネットとその対極にある新聞やテレビというものとは、どのような関係になるのでしょうか?要は、補完関係にあるのか、それとも競合なのでしょうか。
基本的にはマスコミュニケーションという、要するに人に何か情報を伝えるという意味においては、新聞・テレビの持っている情報収集力、取材力には、やはり誰も勝てないわけですよ。例えば首相官邸にブロガーが入って取材できるかというと、現状日本ではあり得ないわけですから、やっぱり一次情報はすべてマスメディアからになる。 ただ今の日本におけるマスメディアの問題点は、一次情報をきちんと取ってきて取材力はあるけれども、それを分析する能力が極めて弱い。新聞はすごい特ダネを取ってきているんだけど、それが社会に対してどういうインパクトを与えるのかということを事細かに分析しようと思っても、割にベタなステレオタイプな考え方でしか切れないわけです。例えばライブドア事件というとすぐにマネーゲームに狂奔するヒルズ族、みたいなステレオタイプ的な反応しかできない。そうではなくてライブドア事件は一体どういう社会的意味があるのか、経済的意味があるのかというのを事細かに分析してみせたのが専門家ブログの世界であって、そうするとそういう解析・分析、あるいは論評みたいなところでやはりブログの意味は相当あると思いますし、そこである種の一次情報をきちんと取材するマスメディア、それに対してその価値を考えて提示するブログ、あるいはそれ以外の様々なインターネットの媒体というような形で、ある種の補完関係は出てくるのではないか、というふうに期待しているんですけれども。
□インターネットは社会構造までも左右し始めた
――――佐々木さんはインターネットの世界の本をたくさん書かれていますが、少し前から「WEB2.0」という話題が出ていて本でも触れていらっしゃいますが、そこから今後どのようになっていくのか、業界の人もエンドユーザーも見えなくなってきているのではと思います。佐々木さんから見てそうした一連の変遷というのは、予想通りだったという印象なのでしょうか?
そうですね。それは結構長い物語になってしまいますが……。90年代にインターネットが社会に普及し始めて、当初はやはりインターネットは一体何なのか、皆わかっていなかったわけですよね。90年代にいろいろなビジネス、それこそライブドアの前身のオンザエッジであるとか楽天さんとかサイバーエージェントさん、いろいろな会社が起業した。でも90年代のビジネスというのは、今「WEB2.0」で言われているような双方向性をきちんと保つとか、集合知、人々の知識を結集しようとか、そういうところまではいっていなかったんですよね。旧来のビジネスの延長線上でインターネットビジネスがやられている部分が多かった。ところが2000年代、2001、2年頃からブロードバンドがすごく普及して皆が常時インターネットにつながるようになった。しかもそこにグーグルの検索エンジンですとか、あるいはソーシャルネットワーキングサービス、つまりSNSですね、ミクシィといったものとか、いろいろなサービスがどんどん登場するようになって、インターネットの本当の使い方というのが徐々に皆さんわかってくるようになった。これを「WEB2.0」と呼んでいる。 別に「WEB2.0」は新しい意味ではなくて、90年代にはまだ皆気付いていなかったインターネットの本質みたいなものに、徐々に人々が気付き始めたというのが「WEB2.0」の真の意味だと思うんですよ。そういう状況の中でこの「WEB2.0」はどういうふうに社会や経済にインパクトを与えるのかというところが始まって、最初におそらく最も皆が話題にしたのはビジネス的なインパクトだったわけですよね。だからビジネスがどう変わるのかというところで『ウェブ進化論』というベストセラーであるとか、私が書いた『グーグル』という本とか、そういうところが割に皆さんの注目の的だった、と。 次にどうなるかというと、今後そのインターネットの影響というのが、おそらくビジネス分野にとどまらずに、社会全体、経済全体といろいろなところに波及していきます。あるいはメディアとかですね。そのメディアの部分について書いたのが今回の『フラット革命』のメインテーマなわけです。そうすると、このインターネットの破壊力というか「WEB2.0」的な枠組みの影響というのは、多分次は人々の生き方とか、あるいはもうちょっと大げさに言うと社会構造とかですね、そういうところに波及していくのではないか、と。そこをどういうふうに捉えていくかというのが、僕にとって大きなテーマになっているんですけど。
――――今、おそらくほとんどの人がネットを日常的に利用していると思いますが、それはネットが人間にとってなくてはならないものになった、あるいは日常の中に入り込んでしまったということなのでしょうか?
そうですね。それこそ電話とか印刷みたいなものであって、印刷というものは今はあるのが当たり前で、別にそれに自分の人生を影響されているとは誰も思っていないじゃないですか。でも多分なかった頃と比べると、社会や人間の生き方は大きく変わっているはずなんですよね。電報とか電話といった遠隔地の人と話ができるコミュニケーションツールだって、なかった頃と今ある現状と比べると相当変わっているはずだ、と。気付かないうちにいろいろなものが変わってきているんですよ。だからインターネットの影響というのは、皆さんは気付いていないけれども、いろいろなところで起きているのではないかな、と。 これは単にウェブを見るとかメールができるとか、ただそれだけの話ではなくて、例えば仕事の仕方とかもすごく変わってきている。90年代ぐらいまでは、例えば在宅勤務とか流行りましたよね。あんなものも景気が悪くなったら続いたかというと続かなくて、結局不景気とともに、フレックスタイムとともにいなくなった、みたいなところがあると思うんです。でもここにきて「WEB2.0」の潮流の中で新しいタイプの若いベンチャーがどんどん出てきて、そういうところでフレックスタイムとか、在宅勤務といった言葉は使っていないけれども、それと似たような形で仕事をする人がものすごく増えていたりする。会社に属さないでフリーランスで働いて、それでいろいろなプロジェクトや企画ごとに集まって仕事をして、それが終わったら解散する、といったやり方をしていたりしますね。
――――それらは「WEB2.0」から広がるインターネットビジネスとして定着したものだと思うのですが、そうしてインターネットが広がったり、フラット革命が起こったりしたことによって、社会的な弊害が出てくることも少なからずあるのでは? そういう点について意識されていることはありますか?
『フラット革命』の最後のほうにも書きましたが、結局インターネットのフラット化というのはすごく楽観的にいろいろなところで語られてはいるんですけども、一方でそうやってどんどんフラットになってきてしまうと誰が責任を取るのかよくわからない、ということになる。かつては、例えば新聞であればそれこそ誤報、つまり間違えた記事を書きました、となればそのお詫びはきちんと新聞社は行なうわけです。松本サリン事件でも河野さんに対して新聞社は謝罪して、紙面の2ページを使って全面で検証記事を載せたりしたんですが、ではインターネットで同じような状況が起きて、ニュースになった誰かが誹謗中傷によって追いやられて会社をクビになったりとか、そういうことが起きることはあり得るわけですよね。その時にそれに参加した、例えば100人とか200人のブロガーが皆その人を批判していたとする。そして、その人が仮に首をつったり自殺したりということが起きたとします。じゃあその時に誰が一体責任を取るのか。これはものすごく難しい問題だと思うんですよね。
――――実際、「ブログが“炎上”する」などという言葉もありますが、誹謗中傷もふくめて現実的にそういう部分をチェックする仕組みなどはまだ整理されていない状況ですよね?
そうですよね。だから誹謗中傷ももちろんけしからないんですけど、じゃあそれをやめるために政府で規制しましょうとか、そういうふうになるのはやはりよくないと思うんです。基本的なインターネットのいいところを、スポイルしてしまう可能性があるわけですから。だから、そういう規制論に走らないでどうやってインターネットのよさを残したまま、誹謗中傷とか、あるいは責任感の不在みたいなものを解消していくか。解消はできないのかもしれないんですけど、それなら代わりに何か別の方法を皆で考えていくのかどうか。そこが非常に難しい問題で、なかなか解決できないと思います。
――――難しいですよね。
そうですね。
□必ず正義は勝つ――それはインターネットでも同じこと
――――問題を孕みながらもインターネットは様々な手法で広がって、今後も減るものではないと思うのですが、佐々木さんが書き手として次にテーマとされる問題意識はすでにありますか。
僕はこの本の最後で、結論と言いますか、結論になっていないんですけども提示したのは「ラジカルな民主主義」という言葉です。要するに皆が議論すればいいんですよ、と。例えばブログの炎上みたいなものが起きて、ブログの炎上というのはブログを書いた、炎上した人に責任がある場合もあるし、ひどい事を書いてそれが炎上してしまった、もしくは何の責任もないのに変な言いがかりをつけられて炎上してしまったケースも両方ある。でも長い目で見ると、結果的にはどちらの人が悪かったのか、つまり炎上した人が悪かったのか、それともコメント欄で書いた人が悪かったのかというのは、眺めると見えてきちゃうんですよ。なぜ見えてきてしまうかというと、アーカイブというか、書かれたコメントやブログの中まで可視化される状態でみんな見えてしまっているからですよね。 結局そう考えると、僕はインターネットは正義が勝つんじゃないか、とすごく思っている。悪が永久にのさばることはあり得ないんですよ。なぜ正義が勝つのか、勝ち得るのかというようなテーマは、僕にとって重要である、と。正義が勝つと言うのは簡単なんですけど、ロボットアニメみたいなことを言うのは簡単なんですけど、そうじゃなくてそれが実際として説得力を持ち得るような論としてできるかどうかというのは、僕にとっては大きなテーマですね。
――――『フラット革命』をこれから手に取る読者に、この部分をぜひ読んでほしいという思いはありますか?
普通のノンフィクションというのは常に書いている側、書き手の側が第3者的な立場に立っていて、遠くから俯瞰的に物事を見ている、と。自分が神様になって地上で起きていることを書いているケースがすごく多いんですけど、特にネットとかIT系の本はそういう本が多いと思うんですよね。今回の本は『フラット革命』というタイトルで、しかもマスコミと普通の一個人が完全にフラットになっていくというテーマである以上、自分自身が神様の位置から見るのは間違っているだろうな、と。いかに自分がコミットした状態で書けるかというのは、結構大きなテーマでしたので、すごく自分の中身をえぐり出すような形でコミットしているんですよ、いろんな対象に対して。その辺りの生々しさを楽しく読んでいただければいいんじゃないかなという感じはしていますね。
――――生々しさ、ですね。
そうですね。
――――ありがとうございます。本日のゲストは『フラット革命』の著者、佐々木俊尚さんでした。 私も読ませていただいて、フラット革命について学んだことはもちろんですが、この本を作るために佐々木さんがどれだけたくさんの取材をされたか、ということにもまた感銘しました。本当に正しい事実は現場にしかない、ですからインターネットの現実、将来というものを見るためにも、やはり現場において何が起きているのか、企業からエンドユーザーまで綿密に調べ上げていくことでしか真実はわからないのだ、ということを勉強させていだきました。 佐々木さん、本日はありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました。
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