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「小田原グループ」総経理インタビュー(前編)教えなくてもできた“70后”、教えればできた“80后”、そして“90后”は…
2012.03.29
今年で創立24年を迎える小田原グループ。「小田原」といえば、深センで働く日本人なら誰でも知っている、有名な日本人向け老舗カラオケ店である。その経営者である田子基忠氏に、創業間もないころに店で働いていた「70后」から、発展期の「80后」、そして現在のメインとなりつつある「90后」の女性たちの気質の違いについて語っていただいた。時代とともに移り変わる中国の若者についての話は、業種は違えど、非常に参考になる。 KM+大室 衛
創業当初は大卒の子も
店を始めて24年になりますが、15年〜20年前までは若い子たちは100%仕送りしていました。学歴もなく、職もない出稼ぎ。当時の給料は1か月800〜1000元くらいでした。募集の貼り紙をするだけで80人くらいは面接に来ましたね。四川や湖南、江西の子が多くて、学歴も中学卒業が9割で、高校卒業が1割くらい。
彼女たちは田舎から出てきたばかりで、都会生活のこともよく分かっていませんでした。エレベーター、タクシーの乗り方も知らない。田舎から来たばかりの子はタクシーに乗ると、運転手脇の助手席に座りたがった。そこが一等席だと思っていたんですね。エレベーターに乗るときなど、エレベーターが上の階にあると、自分は上に行くにもかかわらず、下に行くボタンを押す。このボタンはエレベーターに「下に来い」という意味だと思っていたんですね。
また、創業間もないころは、上海や北京の大学を卒業した子も多かった。一番最初の従業員は大学卒でしたから。開放的な深センに惹かれて来たんですね。彼女たちは日本に興味があり、好感を持っていた。大学卒が日本人向けのカラオケ店で働いていたのも、外国の文化に触れたいという気持ちがあったからなんです。なので日本人との接触方法も今とは違っていました。
当時の子たちは、客を客ではなく、外国から来た友人という感覚で接していた。あのころの深センは今ほど便利ではなく、いろいろな面で外国人にとって不便なことが多くありました。なので彼女たちは、客が病気になったと聞けば病院に連れていってあげたり、中国語が話せないから不便だろうと、買い物に付き合ってあげたりして。
頑張り屋が多かった70后
あのころはそういうことに対して客からお金を取ったり、何かを買ってもらったりすることなどありませんでした。タクシー代ですら自分で払うこともありましたから。お客さんの職場の近所に食堂がなくて困っていると聞くと、お昼にお弁当を買って持っていってあげたりなんていうこともしてあげていましたね。
しかも、そういうことは私や店が教えたり命令したわけではありません。教えなくても自然にやっていた。これが、今でいう「70后」の子たちです。
彼女たちは頑張り屋が多かった。今、深センにある他のカラオケ店のママの多くがウチの出身で、みんな70后。事業としてやりたい、食べるためにこれをやりたいという子が多かった。日本に興味があって、日本人と結婚したい、いい生活がしたい、中国に残ったとしても、この業界で頑張りたいという子たちばかりだった。
70后の子たちは、ホステスとウエイトレスを掛け持ちできる能力を備えていたように思います。テーブルをキレイにするのもそう。オシボリも灰皿も汚れていたら、気づいた子が交換する。そういう習慣や文化があった。もちろん開店前の掃除もそうです。少し早く来て皆で一緒に掃除をしていた。互いに協力しようという意識があったんですね。
気質が違う80后たち
10年くらい前から、募集してもなかなか人が集まらないようになってきました。わざわざ浙江省や貴州省に募集に出向いていって、10人くらい採用して戻ってきたりした。今はできなくなってしまいましたが。その当時は政府の斡旋機関でも、カラオケ店に若い人材を紹介してくれたんです。
それと同時に、根性のある子、頑張る子が少なくなっていった。2000年以降、働く人間としての質が落ちたように感じます。それが80后です。
開店前の掃除をはじめ、灰皿やオシボリの交換はこちらが注意しないとやらなくなった。指摘すれば今後はちゃんとやるようになるかというと、そうでもない。たとえばお客様がいる間だけはテーブルをきれいにする。そんな要領のいい子もいました。このあたりの境目が明確になりだしたのがこの世代です。
80后の子たちはテレビ、パソコン、インターネットなどを通じて社会的知識や情報は増えてきましたが、それと同時に、お金を中心に物事を考えるようになってきた。そして、お金を稼ぐために手段を選ばなくなってきた。
彼女たちは平気でお客さんからお金を騙し取るようになり、それが女の子の間で常識として広まっていった。そのころからです、手切れ金を騙し取られるとかいった、女の子に騙される日本人の被害者が増えたのは。
それでも80后は褒めれば伸びた。褒められると、明日も頑張ってやろうという気になっていました。でも、今、店の主流となりつつある90后は、褒めても意味がない。そのときは嬉しくても、それが明日につながらないのです。(続く)
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